▼たすけて


 道行く人に、自分の事を知らないか聞いた。ほとんどの人が怪訝な顔をして「知らない」と零し、足早に去っていく。ふうと息を吐く。…この町で自分を知っている人はいない、と分かった。
 これ以上ここに留まっても仕方ないのでは町を出ることにした。町の出口に足を進めるとき、ふと振り返ってしまうが、すぐ顔を出口の方に戻し、視線を落とす。…やはり記憶喪失だという事は、到底人には信じてくれないものなんだな、とは分かった。それでも、きっとどこかにたどり着けば記憶が戻る、と信じていた。そうしなければは自分が倒れてしまいそうだった。それほどまでに黄瀬や、町の人の態度に心を痛めていた。
 (大丈夫だ)そう心で呟くと、町の外に足を踏み出した。

**

「黄瀬君。彼女、町で自分の事を聞いてましたよ」
「え…マジで?」
「えぇ、それはもう道行く人、全員に聞く勢いで…まぁ皆さん変人だと思って、適当にあしらってましたけど」

 黄瀬はそれを聞き、自分の中でなにか複雑な感情が生まれたのに気付いた。もしかしたら本当に彼女は記憶喪失で、左も右も分からない状態で、自分がほっぽり出してしまったのはないか、という不安。「まさかね」黄瀬は苦笑いすると、読んでいた雑誌に視線を戻す。しかし、どうにも元のように集中できない。雑誌をテーブルに落とすと、黄瀬は伸びをした。

「…あーもー今日は、ほんっと嫌な日ッスわ…」
「心配してきたんですか?」
「まさか」

 黒子の問いに、そんな訳あるわけない、と慌てて手を振る。

「そうですよね。…黄瀬君は自分に執拗に関わろうとする女性が嫌いですもんね」
「…そうッスよ」

 黒子はいつも自分の意見に寄り添うよう、心地良いことを言ってくれるのに、今日はやけに刺々しい事を言っているような気がした。

「あんな装備、錆びた剣で町を出たとしても、関係ありませんよね」
「…あのまま出たんスか」
「えぇ、先程。でも彼女、やり手かもしれないので、あんなでも大丈夫かもしれませんが」

 あのぼやーっとした女が、やり手?そんな訳あるわけない。もし本当に記憶喪失だとしたら、自分は、もしかしたらとんでもない事を彼女にしてしまったんじゃないか?黄瀬の顔が青くなっていく。
 おもわず立ち上がり、自分の部屋で外に出る支度をしようとリビングを出ようとする黄瀬。そんな黄瀬に黒子は冷たい眼差しでこう言った。

「どうして急に、彼女の元に向かおうとするんです?」
「どうして…って」
「彼女がどうなっても、黄瀬君の責任ではないんですよ?」

 にこり、と微笑む黒子。…彼は黒子じゃないんじゃないか?という程、自分を執拗に責めている気がした。

「あんなに酷い対応をして、追い払ったのに、本当は記憶喪失かもしれないと分かった途端、手のひら返し。でも仕方ないですよね、皆さんが悪いんですもん。黄瀬君に酷いことをしてきた皆さんが」

 ねえ?と首を傾げる黒子。やめろ、やめろ黄瀬は頭の中で呟く。体が動かない。…こんな事初めてだった。どんな強敵にも足がすくんだことなんて一度も無かったのに、目の前の華奢な少年によって放たれる言葉達に、黄瀬は固まっていた。

「だから最初から人を疑ってしまっても仕方ないんですよ」
「っ!!」

 自分は、彼女を疑った。だから自分が放った言葉によって彼女が傷つくのを考えてなかった。だって、嘘だと思ったから、自分目当てですりよってくる女だと思ったから。
 …このまま、彼女に二度と会えなくなっていいんだろうか。…よくない。
 黄瀬は、自分の手を強く、強く握る。そして、居間を出て行った。黒子はそんな黄瀬の後ろ姿を無表情で見送った。

**

 先が見えないこれからの事を考えていた。
その時は魔物に不意をつかれた。飛び掛ってくるタイミングで魔物に気付き、咄嗟に剣を構えようとしたが、二の腕に噛み付かれ、そのまま倒れこんでしまった。魔物は大きな口をしていて、の血で汚れたキバをギラギラと光らせ、を食べようとそのまま肘にキバを食い込ませる。骨が軋んで、折れていく。魔物を剥がそうと抵抗するが、外れる気配がない。むしろどんどん歯を内部に食い込ませていく。必死で誰かを呼ぶが、あたりに人気はない。このまま自分は、死んでしまうのか――…と思った。しかし、生きたかった。生きて、自分が何者であるか、知りたかった。

「っ…くっ…がっ…!!」

 死にたくない死にたくないと頭の中で警報のように響く。だが出血多量で意識が遠のいていく。

「ファイアボールッ!」

 聞き覚えのある声がした。魔物が炎の玉を浴びる。それによって力尽きた魔物は簡単に腕から離れた。それを地に捨てると、音を立てて溶けた。
 は起き上がる。

「…ちゃ…」
「黄瀬さん」

 駆けつけたのは、黄瀬だった。泣きそうな情けない顔をしている。のずたずたになった二の腕を見て、さらに顔をくしゃりとさせた。

「ごめっ…俺…」
「有難うございます…っ。黄瀬さん」
「…ッ!!」

 が微笑む。嬉しそうだ。この少女は、心からの感謝の言葉を言ったのだ、と黄瀬は感じた。自分がとてつもなく、嫌な奴に感じた。

**

「…何も持ってないから、お礼もできないですね、私…。迷惑かけてばかりです。すみません」
「そんな、こと」

 かつての仲間がやっていた治療の魔法を思い出しながらかけてみた。効果はあったようで、表面の傷は癒えた。しかし、あれだけ噛まれたのだ。骨が砕けているに違いない。
 ぷらんとした右腕を押さえながらは立ち上がった。

「いつかこのご恩を返させて下さい…もう行きますね」
「あっ…」

 無意識に、彼女の左手を手に取っていた。

「黄瀬、さん?」
「…っ…今更ッスけど…」
「?」
「俺と一緒に住んでください…!」
「…はい?」

**
「お帰りなさい。…無事だったんですね」

 黄瀬がひたすら遠慮するを引きずって帰ってきた。居間でそれを迎える黒子は、いつも通りの無表情でどこかぽやーんとした黒子だった。黄瀬はそれを見てホッとした。きっと、黒子も何か苛々する事があって、あんな棘のある事を言ったのだ、と先程の違和感を片付けた。

「あの、本当に、大丈夫ですから…」

 は黄瀬に遠慮して、さっきから伏し目がちでここから出ようとしている。しかし、黄瀬がぎゅうと手を握っているので、そうはいかなかった。そのままをソファに座らせる黄瀬。自分も隣に座った。

「せめて、骨折が治るまででも、ここにいて欲しいんス…俺、あんたに謝んなきゃ…疑ってたッスから…」
「大丈夫ですっ。仕方ないですよ、こんな何も覚えてないなんて現実味もないんですから…っ」
「骨折してるのに、そんなに暴れると危ないですよ」

 黒子が救急箱をいつのまにか持ってきていた。の隣に座り、とりあえず手を差し出すよう促す。顔を俯かせて、「すみません」と呟きながら、はこれに従った。黒子は固定出来る棒をを取り出し、二の腕にあて、そこに包帯をゆっくりと巻きつけ始める。その様子をみながら、は黄瀬を見上げる。

「…あの、どうしてわざわざ助けてくれたんですか?」

 それは先程を疑っていた黄瀬の胸に突き刺さる。「ごめんね」と黄瀬は謝る事しか出来ない。はそれを見て、慌てて言葉を付け加える。

「責めてはいないんです、記憶喪失だとか言ってる人なんて、疑うのが当たり前です。…でもどうして、助けにきてくれたのかなって」

  は手当てし終わった黒子にぺこりと頭を下げた。三角巾で腕を支えられる状態になっていた。

「…だって、本当に困ってるって分かったから…」
「私の様子をみてたんですか?…気にかけてくださって有難うございます」

 嬉しそうに微笑む。黄瀬は、黒子が見に行ったのを教えてもらっただけだ、と心の中で苦々しく呟いた。黄瀬はもうを疑っていなかった。

「思えば、あんな草原で一人倒れてたんですから、妄言ではない筈ですよね」
「…黒子っち、それ、先に言ってほしかったんスけど」

 黒子は黄瀬の呆然として出した言葉にいかにも「おや?」という顔で黄瀬を見た。

「…困ってるなら、助け合うべきッス。…お願いちゃん、本当に今更だけどここに住んで欲しいんス」
「困ってる、助け合う…」

 は自分を覗き込んで、心配そうにかける黄瀬の言葉を、かみ締めるように繰り返した。

「…じゃあ、お願いします。…あの、じゃあ色々お手伝いさせてくださいね。その、住むにあたって、家事なんかを」
「願ったり叶ったりです。女性の手を借りたい所でした」
「そうなんですか?」
「ええ」

 黒子が微笑む。もつられて微笑んだ。黄瀬はそれを見て、ほっとした。

いい子。
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