▼わたしはだれ?

「あの、すいません…ここどこか知ってますか」

 辺りは草原。木がぽつぽつと生えているくらいだった。晴れがましい空の下、簡素な服に、腰に剣を下げている少女が誰かに話しかけている。少女は困ったように眉を少し下げ、首を傾げている。相手は何も言わない。ただただ跳ねていた。…もう一度言おう、跳ねていた。少女が話しかけている相手は、青いゼリーのような物体だったからだ。間抜けた顔で彼女を見上げている。

「あの…えっと…」

 その内少女は、さらに眉を下げる。話しかけている相手が答えてくれないからだ。彼女の視線は青い物体から、さらに下がって、地面に向かう。
 少女は自分の名前以外何も覚えていなかった。目を覚ましたら、この場に倒れていて、この物体に出会った。少女の名はといった。

「どうしよう」

 自分の服の裾をぎゅうと握る。は自分が世界にひとりきりだと思った。これからをどうすればいいのか。はとりあえず、下でぴょんぴょん跳ねている物体の目線になるよう、しゃがんだ。

「…ねえ、教えてくれませんか?」

 …物体は何もいわない。ただの顔をみて、跳ねている。だんだん見ていると愛嬌のある顔が憎らしくなってきて、慌てては目線を外した。
 その時、自分を見ている他の誰かの視線があるのに、は気づいた。おもわず辺りを見回す。…木に隠れている誰かを発見した。は腰を上げ、その誰かの方へ体を向けた。

「あの…誰か、いるんですよね」

 木の向こうの息が張り詰める。驚いているようだ。自分が何かしてしまったのか、とは気後れするが、我慢して声をその誰かの方へ向ける。

「答えてください…」

 は手を強く握る。隠れている誰かは、先程の様子とは打って変わって、すんなり姿を現した。

「すみません、隠れてみていて…」

 誰かは人だった。うすい青色の髪にぼんやりしたような顔の少年が、ひょこっと木から少し体を見せた。そして、木の陰から完全に出てくると、に近寄った。はきらきらした目で彼を見る。青い物体は彼を見上げる。全体が黒い色の服で、帽子をかぶった彼は見た感じ、旅人のように思えた。

「…っ、突然ですけど、教えて下さい、ここってどこでしょうか」
「ここですか?えっと…海常の町の近くですけど」
「私の事、知ってますか?」
「…僕の記憶では知りません…もしかしてキミ、記憶喪失なんですか?」

 話の通じる相手に、半ば興奮しながらは少年に質問をぶつける。
 しかし、返ってきたのは、記憶の手がかりになるものではなかった。は顔を落としかけた時、少年は不思議なものをみるように、自分が記憶喪失なのか聞いた。

「…あっ!…そうかもしれません」

 言葉の意味が分かるので、記憶喪失がどんなものかも分かった。まさに自分の状況はそれだ。何故何も覚えていないのか、それは記憶喪失のせいだ…。は両頬に手をあてた。

「黄瀬君ならキミが誰か知っているかもしれませんね…」

 少年は考えるように、あごに手をやる。表情はさっきからあまり変わっていない。

っていう名前だけは覚えているんですけど…」
「心当たりがないか聞きましょう、もうそろそろ彼、来ると思いますから…」

 少年がそう言った途端、「黒子っちぃぃ〜〜〜!!」という声が聞こえた。少年の予想通りだ。彼は声の方へ体を向ける。もそれを見て同じ方向に体を向けた。

「なんで勝手にいなくなるんスかぁ、ただでさえ見つけにくいってのにー!おかげで俺、女の子ん中取り残…アレ?」

 ぺらぺらと言葉を繰り出す、黄色い髪の少年がこちらへ向かってくる。腰には剣をさしており、服はレザーをつかっている。何を着ても似合いそうだ。彼が黄瀬君、だろうか。目をぱちぱち瞬かせる。
 黄瀬はと隣の少年を見て、怪訝そうな顔をしたが、何かに気付いたようにぱっと顔を明るくさせた。もしかして自分を知っている人だろうか。の胸が期待で満ちる。

「黒子っち、彼女できたんスか!?えっ何かごめん!…あれ?でも知らない子っスね…こんな子、あの町にいたっけ」

 しかしそれは、すぐに消えた。…どうやら自分の事を知らないらしい。

「…さん」
「……」

 がしょげかえる中、青い物体が黄瀬が近づいてくるのを見て、ぱっと逃げ出した。

「あれっ、スライム…?」

 黄瀬は首を傾げたが、湧いた疑問はすぐ頭のすみっこに押し退けてしまった。

**

「本当に、記憶がないんスか?」
「…はい」
「……」
「黄瀬君?」

 事の説明を黄瀬に、水色髪の少年、黒子がしてくれた。とりあえず海常の町まで送ってくれた黄瀬は、カフェでの話を聞いてくれる事になった。の隣には黒子君が座り、向かいでは黄瀬が難しい顔をして腕組みをしている。元々カフェにいた客の目線が、ヤジウマのように自分達に向けられることに、黄瀬はさらに苛立つ。心底困っているようなを、黄瀬は疑っていた。
 これまで、女性関係で良いことがなかった黄瀬は、彼女が自分の気を引きたくてこんな戯言を言っているのだと思っている。鼻から話など信じていなかったのだ。

「…だとしたら、これからどうするの?」
「僕のように、仮にでもしばらくここで住まわせてあげたらどうでしょう」
「は!?黒子っち…!」
「この際一人でも二人でも同じようなものでしょう」
「簡単にいってくれるッスね…」

 黒子の予想外の提案に、黄瀬は整った顔をしかめる。それにはおもわずびくっと肩を震わし、俯いた。

「あの、大丈夫です…なんとかしますので」
「…そう言ってるみたいだし、別にいいんじゃないスか?」
「彼女の為に、僕も少しは稼ぎますから、どうか彼女をここに、お願いします」
「黒子君…」

 黒子は黄瀬をしっかりと見据えての保護をお願いした。黄瀬は黒子に驚いたような顔を向けた。黒子を保護したのだって、自分の家の前で行き倒れていたから。黒子は男だったので、いい女避けになるから、いいか…、と渋々住まわせることを了承したのだった。黒子は自分の他人を毛嫌いする気持ちによく賛同してくれ、良い気分にしてくれる。だから、自分が認めた相手だけに呼ぶ愛称で黒子を呼んでいる。

「…黒子っち、結構いい人なんスねー!」
「何ですかソレ、僕がまるでいやな人みたいじゃないですか…」
「いや、そういう訳じゃないんスけどぉ…」

 まったく関係のない会話が始まる。終始俯いていたは、席を立ち上がった。会話の間に決心したのだろう、強い眼差しを二人に向ける。

「私、本当に迷惑になる訳にはいかないので、失礼しますね…!あっ代金…」
「そうッスかぁ!それがいいッスよ。代金なら俺が払っておくッス」
「…有難うございます。じゃあ、さようなら」
「黄瀬君」

 は手持ちの金がない事に、しゅんとするが、黄瀬が払う事を聞き、申し訳なさそうな笑顔を彼らに向けると、頭を下げて、店を出て行った。店にいた客の視線が、それぞれ元に戻る。
 黄瀬は、少しだけ彼女のあっさりとした対応に違和感を感じた。黒子はが出て行った方を向き、彼女を見送ると、黄瀬に困ったような顔をしてみせた。

「黄瀬君…いくらなんでも、酷いですよ」
「えー?そうッスかぁ?記憶喪失だっていう女を信じろっていう話が無理ッスよ」
「…ですが」
「結構あの女の肩を持つんスね。もしかして惚れちゃったんスか?」

 無表情で首を振る黒子に、「だろうね」と言う黄瀬。

「黒子っちもあんまり人を信じてないんスもんねー」
「ええ、まぁ」

 自分と同じだ。にっこりと、女性が見たら見とれてしまうような笑みを浮かべて、良かった、と思った。
 安心したのもつかの間、黒子が突然立ち上がる。きょとん、とする黄瀬。

「でも、彼女がもし行き倒れて、死んだら心配なので、ちょっと見てきますね」
「…んな訳ないって、どーせどっか…帝都から来たヤツでしょ」

 黒子は控えめに微笑むと、店を出て行った。…一人残された黄瀬に、女性達の好奇の視線が向けられる。それを感じて、黄瀬は苛立ちから髪をかきあがた。きゃあと店内で悲鳴があがる。
(馬鹿女共め)黄瀬も椅子から立ち上がる。さっさと自分の家に帰る事にした。

ゲ瀬。
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