期待するのは馬鹿のやること
時が止まったかのようにスマホを見つめていると、色んな考えがの頭の中を駆け巡った。私は彼にメールアドレスを教えていない。だとしたら、誰が。こんな事を?…もしかして、なにかしらバレた?それで、誰か嫌がらせに…?
彼女はこれまでの経験から最悪のパターンしか考えない。これが電話だったら、何もしないで居留守する事も出来たが、これはメールだ。何らかの行動を取らなければならない。
は荒く深呼吸すると、意を決したようにスマホを手に取り、震える手でメールを開く操作をした。
『こんばんわ、突然ごめんね?メール来ないからこっちから行動しちゃった。クラスの女子のメアドしってる子に、ちゃんの目当てに全員分聞いちゃったッス。本当にあったからマジでびっくりした。あ、勿論ちゃんの以外すぐ消したよ?…何してるか気になってたからメールしちゃいました』
所々絵文字がちりばめられている。カラフルで、黄瀬らしい優しい文面だ。これは黄瀬だ。
は、それを見ていると、肩の力が抜けたり、胸の内に何か熱いものがこみ上げた。黄瀬くん、黄瀬くん黄瀬くん。そしてぎゅうと胸が締め付けられた。
あまり使った事のないメールを使って、はすぐ返事を送った。メールだと素直に気持ちが伝えられる気がした。すらすらと感謝の気持ちを入力できる。
とりあえずは、驚いたけど、メール嬉しい、有難う、という事と、今ごろごろしてるよ、という事を入力し、黄瀬に送信した。
黄瀬からすぐ返信がきた。ちゃんと考えて書いたような文章構成に、楽しい文面。は、高揚感に目を細めた。黄瀬とのやりとりは、遅くまで続き、さすがに迷惑かもしれないと思ったが、もう寝る時間だから、という理由でメールのやりとりを終わらせた。
ベッドに横になると、スマホを胸に持っていき、黄瀬との会話を振り返る。
そして、最後のメールを表示して、手が止まった。
『そっかぁ、俺ちゃんが寝る時間とか全然考えてなかった。楽しすぎて。名残惜しいけど、今日はここまでにしまッス。また明日会おうね!生ちゃんにも会いたいし、…昼飯も楽しみだし(笑) おやすみ』
「おやすみ、か」
は最後の一文を口にした。彼女の頬はほんのり赤く染まっている。
ぎゅうとスマホを胸に抱きしめ、幸せに浸るように、彼女は目を閉じた。
にとって学校は、毎日毎日行くのが辛いものであった。…それが、黄瀬に出会ってから、少しずつ楽しみになっていった。黄瀬君と話せるから、黄瀬君が私の話を聞いてくれるから、はそれらがあるから、明日も学校へ行くだろう。
**
「すっげー嬉しかったッス」
「わ、私も」
昼休みの話題は、必然的にメールのことになる。作ってきた弁当のおかずを何個かあげると、嬉しそうに食べる傍ら、黄瀬が話し始めた事により、会話が始まる。
「ちゃん、やりとりしていく内に結構ノリノリになってなかったスか?」
「え!?へ、変だった…?」
「ううん!面白かった、こういう一面もあるんだって知れたんスから、聞いてみたかいあったッスよ!」
「…わざわざ…有難うね、黄瀬君」
は嬉しそうに笑う。ぎこちないが、心からの笑顔だった。それにお礼も合わせて言われた黄瀬は、少し頬を染めると、「ちゃんも有難う!」と笑った。その笑顔を見ては「そんなことない」と慌てて首を振った後、少し俯いた。
まだ告白の返事をしていない。でも答えてしまったら、今の笑いあえる関係は…。
は少しだけ考えたが、どうするか決まらなかったので、考えるのをやめた。
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学校帰りは、好きでない学校から解放される、至福の時。自由が体中に澄み渡るような感覚に、は陥る。
彼女は明日の連絡が終わったら真っ先に教室を出て、校舎も校門も一番乗りで出てしまう。
しかし彼女はふと振り返ると、体育館をじっと見つめた。学校が終わったばかりで、まだ誰もいない。
…もう少し待てば、黄瀬のいるバスケ部の活動が始まり、軽快なドリブルの音など聞こえてくるのだろうか。黄瀬はエースらしいし、練習している姿も凄いのかもしれない…。はぼぅっとした頭で思う。
しかし、次の瞬間には私は何を考えているんだろうと、はっとし、戸惑い始める。
いつも彼女は帰るときは、真っ先に自分の部屋に帰りたいと思っていたのに、こんな事を考える余裕も出来てきたという事だろうか?
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漫画の新刊が出るので、は学校帰りに書店に来ていた。彼女にとって通いなれた書店だから、するすると目当ての売り場にたどり着く。新刊のコーナーに立ち止まると、早速積まれた漫画を見始めた。暫くすると、はふっと目を細める。そして、手をのばし、一冊の漫画を手に取った。それさえ終われば用は無いといったように、レジまで一直線に向かおうとした。
しかし、見慣れた金髪が目に入ったので、おもわず目を見開き、足を止める。そこには、黄瀬…が表紙に写った女性向けファッション誌があった。は少し安堵したように息を吐くと、その本をじっと見つめ始めた。
(…黄瀬君て、やっぱり凄いんだなぁ…普段はとてもそんな風に見えないのに)
ファッション誌に近寄って、漫画を小脇に抱えると、表紙を手に取り、じっと彼を見つめた。心なしか、胸が締め付けられて、はぱちぱち、と瞬きをした。
(黄瀬君は、テレビとか雑誌とか、色んなところで、色んな子達の手に届いちゃうんだなぁ…それって凄い事だけど…)
考えを整理すると、その先の感情が見えてきた。…何か、嫌だ。そう思ってしまった。そんな気を紛らわす為にパラパラと雑誌を捲ってみると、黄瀬と、可愛らしい格好をしたモデルの女性が一緒に、楽しそうに写っているページが目に入る。は目を見開かせ、少しだけそのページを見つめて、おもわず目をそらしてしまった。頬がカアと熱くなる。
は、二人がなんてお似合いなんだろうと思った。少しの間だけ見た、モデルの美しい顔が浮かぶ。いかにも人生上手くいっていますといったようなモデルだった。
おもわず目を瞑って、その像をかき消すことに努める。関係無いページを開く事にした。
(…なんて卑屈さなんだろう…私、黄瀬君が好きなんだろうか)
最初の頃は黄瀬の行動をいぶかしんでいたが、今は昼の時間が楽しみで学校に通っている。告白の返事をまだしていない事を、は一応気にしていた。
告白を断ってしまえば、もう話してくれないと思っていた。それが嫌だから、何も答えないままだった。
先程モデルに対して思った事、こういう後ろ向きな思考をしてしまう事、は自分にうんざりしていた。だからこそ自分に自信がない。
(…でも、今、よく分かんないまま答えていいのかな?…それに、今の私なんて)
ふと横を向くと、ショーウィンドウにうつる自分が目に入る。の顔が悲しげに歪む。泣きそうになった。雑誌を元の場所に戻し、マンガを早くレジに持っていこうとした。
しかし、ふと雑誌のページを見てしまい、目がそれに釘付けになった。息をのんだ。
「かわいい…」
モデルが今季おすすめのコーディネイトを着こなしている。紙面を笑顔で華やかにして、は彼女達が輝いてみえた。着ている可愛らしい服達もさぞ喜んでいるのだろう。左のページにはしたことも無いメイク道具の特集をしている。
(私……も、可愛く…なってみたいな…)
羨んでいるだけでは何も変わらない。おしゃれな服を着て、肌の荒れ具合を隠して、可愛いと思えるような顔をしている自分が思い浮かんだ。その隣には黄瀬がいて、自分を見てくれて、クラスの女子にやっていたように、目を細めて「可愛い」…そう、言ってもらいたくなった。
は火がついたように、色んなファッション雑誌を黙々と見る作業に入った。結果、自分が一番可愛い、参考になると思う雑誌と、漫画を会計に持って行った。全ては勢いだ。
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「さんって、何か変わったよね、…誰か好きな人でも出来たのか」
「あ、分かる、雰囲気が柔らかくなったっていうか…結構笑ってくれるようになったよね」
クラスにて、女子がの事を話していた。は、今席を外してどこかに行っている。黄瀬はの名前が出てきたので、喋りかけてきた女子の会話をさらに適当に対応し、その女子達の会話に耳をそばだてた。
「絶対好きな人が出来て変わったんだよ!だとしたら誰かちょっと気にならない?」
「決め付けるのはよくないって、まぁ…でも何かあったんだろうね」
黄瀬の席は、一番窓際の席だった。その隣が。正面で自分に媚びへつらう女子をぼんやり眺めながら、黄瀬は「確かにそうだ」と思った。
はクラスにいる時も笑うようになったのだ。といっても顔見知りの女子に挨拶したり、少し用があった時、柔らかく対応するようになったとか。
は、あの後、メイク道具を買い、髪を切った。自分の性格も、変えようと少しずつ努力していた。もっと、人に話してもらえるように、友達になってもらえるように、彼のために。
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「って、ちゃんの事言ってたんスよ!」
「そ、そうなの?…な、なんだか恥ずかしい…」
昼休み、黄瀬は目の前に座るを見て、目を細めた。
「俺もちゃんが変わったなぁって思うよ」
「変わった、なんて…」
「…少し寂しいなぁ〜」
「えっ?」
「ちゃんが大人の階段を登っていくッス」
「何それ」
黄瀬が呟いた言葉で、は不安そうに顔を曇らせた。だが、黄瀬がこうなる事を見越して、上手く冗談をいって、の顔の力を抜けさせ、ほっとさせた。
黄瀬の笑顔には少し違和感を感じたが、気のせいかと思った。