恋人の口づけ

 一面暗い空間。ぼんやりと黒味がかっている。僕は自分のベッドに座っていた。この空間に、白を基調としたベッドは、異質だ。だけど黒と白の色調がマッチしていると思った。パジャマ姿の僕は、ベッドから降りる。床に足を触れても、なんの感触もしない。素足のまま、僕はなんとなしにここから出ようと歩き出した。
 歩いていくと、黒い床に銀色のハサミが落ちているのに気付いた。アンティークのように、凝った細工が施されている。やはり僕はなんとなしにそれに手をのばす。
 ハサミに触れた瞬間。ぴちょん。黒い床に、水がはねた。みるみるうちに足が沈む。底なし沼のように、ずぶずぶと床に入っていく。「助けて」恐怖で叫ぶ。

、気を楽に。大丈夫だよ」

 赤司の声がした。普段名字で呼ばれるその声に、名前で呼ばれた。ぎゅうっと沈んだ腰を抱きしめられる感触。叫ぶ間もなく、僕は一気に底に落とされた。…何も、苦しくない。優しく頬をなでられる感触に、おそるおそる目を開けた。…ぎょっとした。

「赤司、目…」
「あぁ、僕は大丈夫だから」

 今度は暗い赤色の空間で、赤司に抱き上げられていた。僕と赤司は背が同じくらいだというのに、軽々と。しかし、驚く点はそれだけでない。赤司の左目が、黄色くなっていた。おもわず赤司の顔に手をあてる。心地よさそうに赤司は目を細めた。

「来てくれたんだな」
「え?」
「僕に、会いに」

 気がついたらここにいたのだが…。あまりにも赤司が嬉しそうに笑っているので、おもわず頷いてしまった。…しかし、赤司は一人称が「僕」だったろうか?

「来てくれると思った」
「赤司……?」

 何だか、いつもの赤司とは違う気がした。普段の赤司だったら、きりりとしている筈なのに、この赤司は僕をとろんとした目で愛おしそうに見つめている。…それに、怖かった。そんな目で見つめていながらも、捕食者のように、奥底ではなにか、恐ろしいものが蠢いている。

「…あ、かし。もう大丈夫だから、離してくれ」
「嫌だ」

 ふふっといたずらっぽく笑われた。

「そうしたらお前は帰ってしまう。暫く会えなくなるじゃないか」
「暫く…って、毎日部活で会ってるじゃないか…」
「『僕』と、会えなくなる」

 ぎら、と赤司は黄色い目を光らせた。僕はおもわず息をつめた。…やっぱり赤司じゃないのだろうか、この赤司は…。

「でも、もうそろそろお前に触れられる気もするんだ。…こうしてここで会えたんだ、運命だね」
「赤司…」
「キスしようか、
「な、何言って…!男同士!」
「…お前はそんな事、気にしないだろう?」
「!!」

 何もかも見透かしている。そんな目にあてられ振り絞ろうとした声が喉で止まった。そのまま赤司の笑みが近づいてくる――。

 今思えばそれは予兆だったのかもしれない。

**

「紺野、聞いているのか」
「…!あ、あぁすまない赤司」

 赤司が僕の顔を覗き込む。両目とも赤、…いや左目が少しうすい色に見える。それに気付いておもわず顔を硬直させると、赤司が「紺野?」と訝しんでみせた。

「いや、あの…。目、大丈夫か」
「…別になんともないさ」
「そっか」

 良かった、と呟いてみせる。無意識の内にそう言っていた。そう思ったのもそうだが、彼を喜ばせたかったから。それと先程の自分の態度を忘れさせるために。…もっとも赤司に通じているのかは分からないが。赤司は無表情で僕を見つめる。
 最近赤司は笑わなくなった。無表情でいる事が多い気がする。…主将である重荷と皆の不協和が原因だとは思う。

「…青峰の処遇をどうするかだが…」
「…うん」
「あいつの最近の行動は目に余る。…引き止めたい気持ちもあるが、かける言葉も見つからない」
「…うん。……赤司、もういいんじゃないか?青峰の好きにさせればいい」

 バスケをすることが楽しくなくなったら、それを誰も、どうする事もできなかったら。彼自身の行動に任せるべきだ。

「だが……俺は青峰にバスケを続けさせたい」
「…でも、このまま無理に続けさせても、いつかバスケを辞めることになると思うよ」
「……どうしたら」
「え?」
「どうしたらいいんだ。紺野…」
「赤司」

 何事も努力でなんとかしてきた。でもどうしようもない問題に直面して、どうしたらいいのか分からなくなっている。

「赤司…」

 手で顔を覆った赤司に手を差し伸べようとした。しかし、ためらった。あんな夢をみたからだ。手を引っ込めようととした瞬間、強い力で掴まれた。

「いっ…赤司!?」
「僕を恐れたか?」

 金色の目。ひっ、喉が情けなく鳴る。どうして――。

「僕を好いているんじゃないのか?」
「!!」
「あの時、お前は歓喜に溺れていた」
「ち、が…うッ!!」

 赤司が愉快そうに目を細めるので、顔が熱くなる。事実を指摘されて、手を振りほどいた。
 僕は――。確かに、赤司に好意を抱いている。だけど、だからってこんな赤司じゃない赤司に迫られても。
 赤司は振りほどかれた手に手をあてる。ニヤリと笑うと、目を閉じた。
 目を開いた赤司は、両目とも赤色になっていた。ショックを受けているような、酷く傷ついたような表情だった。らしくもなく、顔をくしゃりと歪ませて。

「紺野――…」
「あ、赤司…?…す、すまない、あの」
「いや、いい」

 赤司は席を立った。部室を出て行った。その背中を追いかける勇気は僕にはなかった。また心をかき乱される。あの金色の目の赤司が恐ろしかった。

つぎはぎ。紺野は赤司が好きなようです。 13.12.28
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