やさしく侵食
※にょた赤司は征羅という名前
彼女とまともに話したのは、中学校二年がはじめてだった。一年の時も同じクラスだったが、接点がなかったので遠目で眺めるだけの存在だった。二年になり、友達がクラスに一人もいない状況に陥った私は、隣の席の美少女、征羅ちゃんに話しかけた。
征羅ちゃんはあまり人とつるまず、一人で読書をしている事が多かった。常に成績トップの彼女が読んでいる本も気になったので、「何を読んでいるの?」と聞いてみた。返ってきた言葉は小難しい、本のタイトルだった。確かロシア文学だった気がする。その年から図書室に通いだした私は、その本を読んでみた。しかし、その文章は舞台、人物の説明がえんえんと続いていた気がする。頭が痛くなって、十ページ程で読むのをやめた。征羅ちゃんは、すごい人なのだ、と改めて感じた。
彼女は毎日読む本が変わっていた。私は毎日、何を読んでいるのか聞いていた。席順が変わって、隣でなくなっても、だ。ときには私の興味をひくタイトルの本もあり、その本を借りて読んでいた時もある。征羅ちゃんは、時には内容を説明してくれる事もあったので、そこから興味を持つこともあった。「読んでみたい」と彼女に言った本を読み終わったら、彼女に報告して、感想を言い合ってみたりした。彼女が感じた事など、本当に作者がそう考えて書いた気がする。それだけ説得力のある話し方だった。ちゃんと読みこなしているのだ、と私はますます感心した。
そんな会話を続けているうちに、体育の授業など、彼女とペアになる事が多くなった。彼女は女子バスケ部の主将を務めているようで、それは素晴らしい運動神経だった。男子にも負けないくらい足が速かったし、バレーの授業などは女子が返せないアタックをお見舞いしていた。水泳の授業では、適度に筋肉のついた、すらりとした水着姿で泳いでいた。…私はあまり運動が苦手だから、彼女とペアになった時、いつも迷惑をかけていた気がする。そんな時、彼女は上手くいくコツを先生のように教えてくれた。指導に素直に従い、練習したおかげで人並みくらいには運動神経が向上したと思われる。前よりも良い結果を出した時、私は征羅ちゃんを見る。決まって彼女は満足そうに微笑んでいた。
私達は少しずつ仲良くなっていった。本以外の話、プライベートな話もするようになったのだ。征羅ちゃんに友人と認められた気になって、自分が少し誇らしくなった。彼女はそんな気分にさせる人なのだ。いつも背筋がまっすぐ、凄くて、凛々しくて、傍にいるとなんだか安心してしまう。彼女の近くにいると、彼女が唯一クラスで私を包みこんでくれていると錯覚するのだ。
だが、成績優秀で、運動神経抜群の彼女の傍に、こんな平凡な私がいてもいいのだろうか?と不安に思う時もあった。特に彼女が他の人、バスケ部のチームメイトだったり、格好いい男友達と喋っている時に感じてしまう。
「そんな事はない。と一緒にいるのはとても心地がいいよ」
「征羅ちゃんは私と居て、時間が勿体なくないの?」と面倒な事を呟いた時は、くらくらしてしまう言葉を返された。おもわず顔が熱くなって、私は顔を俯かせてしまった。彼女は私にとても、優しくなっていく。彼女の白く細い指が私の髪をすくう度に私は胸をときめかせてしまう。
「の髪はきれいだね。誰かの為に手入れしているのかい?」
「そんなこと、ないよ。見せる人なんて、征羅ちゃんぐらいしかいないし…」
「じゃあ私の為って事?」
「……そうかも」
意地の悪い事を言う。自分の髪をいじりながら机におもわず視線を向けてしまう。きっと征羅ちゃんは、きらきらと綺麗な赤い瞳を細くさせて私を見ているのだろう。どうして、こう、私の胸を高鳴らせる言葉をその小さな口から出せるのだろう。そう考えると小さくため息をついてしまいそうだった。
征羅ちゃんは男女問わず、もてている。一緒に帰る際、彼女がげた箱を開けた際、溢れてがさがさ、という音と共に床に落ちてきたラブレター達。色気のない悲鳴をあげて、驚いたものだ。征羅ちゃんはそんな私を見て、吹き出していた。可愛らしい便箋や、白いシンプルな便箋がまざった山をまじまじと見てしまう。征羅ちゃんはそれらを、またげた箱に押入れた。ぽかんとしている私を置いて、何もなかったかのように先に昇降口に歩いていった。そのまま突っ立っていると、「早く帰ろう」と振り向いて綺麗に微笑む征羅ちゃん。こういう微笑み方をする彼女は、意地の悪い事を考えている時に多かった。その後のラブレター達の行く末は知らないが、こんなに手紙をもらって、どう返事をしたんだろう、とぼんやり考えてしまった。
征羅ちゃんに直接告白するというつわものも勿論いた。赤い顔の男の子に呼び出されると、彼女はきまって私と話していた時と違う空気をまとう。無表情で席を立つ。どこか他人をよせつけない、最初の頃の征羅ちゃんに戻っていた。私にすまなそうな目線を向ける征羅ちゃんに、「いってらっしゃい」とぎこちなく微笑んで送り出す。
中には私を介して征羅ちゃんを呼ぶ人もいた。了承すると、緊張している顔を糸が切れたように綻ばせる人達。その時はいい事をしてるんだ、という気分になる。だが、いざ彼女に事を伝える時は、なんだか悪い事をしている気分になってしまう。征羅ちゃんが何故か薄く笑っているのだ。不機嫌そうに。何故か私は謝りながら「行ってきて下さいお願いします」と敬語で促してしまう。その言葉に仕方ないと征羅ちゃんが腰をあげると、やはり何故か「有難う」と肩の力を抜いて、お礼を言った。
だから、今回だって征羅ちゃんを呼んでるものだと思っていた。赤い顔をした見慣れない男の子が廊下から私を呼ぶ。征羅ちゃんがバスケ部の事でマネージャーの子と相談しにいっている間、一人で本を読んでいた時だった。こういう事は本人がいない時に伝えたいよな、と納得しながら彼のもとに行く。「屋上に来てもらいたいんだけど」言われて、「いいよ」と頷くと、彼はちっとも表情を輝かせないで、顔を赤いまま、廊下を歩いていく。あれ?なんか違うな、と首を傾げていると、彼が振り向いた。「?」と私の名字を呼ぶ。…ひょっとすると私を屋上に招いているのか、この男の子は。そう思ったら、急に顔が熱くなり、小走りで彼の元にかけた。
「もしかして、私に用があるの?」
こそっと彼に伝えると、彼が怪訝そうな顔をした後、何度も頷いた。驚いた。人生初の告白かもしれない。どきまきして、よくわからないまま、彼の後をついていく事にした。階段をのぼり、彼が屋上の扉をあける。扉を開いて待ってくれている彼に、頭をさげて、屋上に足を進めた。風が吹き抜けて心地いいと一瞬思ったが、すぐに現実に戻った。
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「考えさせてください」という言葉を使った。要するに私は返事を先延ばしした。チャイムが鳴って、先生が来るギリギリ前になんとか席に着けた。放心する頭で次の授業を受ける。私は彼とは一年の時に同じクラスになっていたようだ。割と真面目な方のグループに所属していたと思う。一生懸命告白してくれた事に補正が加わる。彼の事が好きではなかったのだが、なんとなしに返事を先延ばししてしまった。嫌な女だと自覚する。中学生の私は、彼氏というものに興味があった。どんなものか知っておきたいし、と言い訳じみた事を思う。ぼんやりと選択を迷っていた私は、彼女の機嫌がすこぶる悪い事に、帰る時まで気付かなかった。
「前の休み時間、どこに行っていた?」
担任の伝達が終わって、すぐに私の手を握った征羅ちゃんは、私を空き教室に押し込んだ。見るからに怒っている。こんな征羅ちゃんは見たことが無い。…彼女はこんな風に眉を寄せて「怒る」というより、冷たい目で興味がない風に相手を見ることがあった。怒って、精神を乱し、相手と同じラインに立つつもりがないと思っていた。私はそうしていた現場に鉢合わせた事があるから知っている。無断で休んだというバスケ部員に退部を通知していたらしい。彼女は淡々と、泣きそうなその子に事実を告げた。主将の務めだから面倒だけど仕方なく、とも言っていた気がする。泣きながら逃げ出した女の子を、冷たい目で一瞥してから、私に視線を向けた。その途端、何事もなかったように私に微笑んだ。征羅ちゃんが、はじめて怖いと思ってしまった。
私には対等に接してくれているという証拠だと思っていいのか?と考えてから、でも、と私は困った。どうして怒っているのだろう。休み時間に必ず話していた訳でもない。私達は思いついた時だけ話すようにしていたのに。それかギリギリに着席した私を怒っているのだろうか?怒る理由が分からなかった。
「な、なんで怒ってるの…?私悪い事した?」
「私はそんな事聞いてない。どこに行ってたんだ」
尋問になっている。どうやら質問に答えないと、次には進めないようだ。私達には部活がある。征羅ちゃんはバスケに熱をあげていたのに、何で練習を早く始めるより、こんなことにこだわるのだろう?理不尽さに体を震わせながら、私は告白された事を話す事にした。
「誰にされたんだ」
「え…っ、去年同じクラスだった、是枝君…」
戸惑いながら彼の名字を口にした。こんな事まで言わされる恥ずかしさから、私はおそらく耳まで真っ赤だろう。征羅ちゃんは、忌々しげに表情を歪めた。
「気に入らないな」
「え?」
彼女は「気に入らない」と言ったのか?征羅ちゃんが言うはずのない言葉が聞こえた。「彼氏、作らないのかい」と意地悪い笑みを浮かべて聞いたきた、征羅ちゃんが浮かぶ。私はそれに「今の所、好きな人はいないし、いいかなぁって」と少し照れて制服の袖を握りながら答えていたっけ。…この答え方をしたのに対して気がある素振りをとった私は知らずに友達を裏切っていたのか?なんだか泣きたくなってきた。…彼女には嫌われたくなかった。折角優しく微笑んで私を迎えてくれる、彼女を失いたくない。
「ご、めん…私勝手に彼氏を作ろうとして、ごめん」
彼女が去る。それは絶対やだ、最悪の想像をして、私は必死に彼女にすがろうとしている。客観的にそれを見て、何やってんだ、何で謝ってんだ、と思っている自分もいる。泣き出す私、征羅ちゃんは、そんな私の肩に手を触れた。
「征羅ちゃん。嫌いにならないで、ごめんなさい。返事断るから」
「…人の泣き顔なんて、嫌いなのに。のそれは可愛いね」
私より数センチ高い背で、私を抱きしめた。あやすように頭を撫でてくれる。
「まだ分かっていないようだけど、許してあげる」
征羅ちゃんは、そう私に囁いた。
魔性の女。